福岡地方裁判所小倉支部 昭和39年(ワ)872号 判決 1970年2月20日
原告
中村英之
外八名
代理人
谷川宮太郎
外二名
被告
朝日タクシー株式会社
代理人
木下重範
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
一被告会社が、北九州市門司区東通町六丁目に本社および営業所を門司駅および門司港駅構内に営業所を有してタクシー業を営んでいること、原告らがいずれも被告会社に自動車運転手として雇備され、右各営業所に勤務していること、昭和三七年一〇月二六日から昭和三九年七月二五日までの間、被告会社が原告らに別表(一)記載のように時間外および深夜労働をさせたこと、右期間における被告会社の勤務時間、原告らの賃金日額、勤務日数、勤務時間数、時間外労働時間数、深夜労働時間数が原告ら主張のとおりであること(但し、賃金日額のうち原告中村英之の昭和三七年一二月分、昭和三八年一二月分、同小島吉郎の昭和三八年四月分、昭和三九年四月分、同竹野幸男の昭和三八年八月分、同大森磯の昭和三八年四月分、昭和三九年三月分、同穴井信義の昭和三七年一二月分、昭和三八年一二月分については少くとも原告ら主張の金額であること)は当事者間に争いがない。
二そこで、原告らが前記時間外労働および深夜労働に対する割増賃金請求権を有するか否かの点を判断する。
(一) 被告は、前記賃金日額(以下基本給ともいう)は被告会社と原告ら所属の労働組合との協定により時間外および深夜労働に対する賃金を含むものとして取決めたもので、被告会社はこれを支払うことにより原告らに対する割増賃金の支払を了している旨主張するので、まずこの点から検討する。
<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
(1) 被告会社では、昭和三五年一二月以前は、従業員の代表との間で締結した時間外および深夜労働時間についての協定が存在したが、これに対する割増賃金の支払方法についての協定はなく、従業員に対する割増賃金の支払は、所定の基本給を基礎として労働基準法第三七条、同法施行規則第一九条、第二〇条の規定により機械的に計算した上支払つていたところ昭和三五年一二月二一日被告会社に労働組合が結成され、その直後に行なわれた組合との団体交渉において従前の割増賃金支払方法を変更し、時間外および深夜労働に対する賃金を基本給に含めて支払う旨の取決めが口頭でなされ、また同時に賃金の引上げをも行なう趣旨で、従前の基本給(従業員の勤務年数に応じて一一段階に分れる)が大巾に引上げられ(例えば、従前の初任給一〇〇余円が三五〇円となつた、時間外および深夜労働の賃金としては別に支払われないこととなつた)、右のような時間外および深夜賃金を含む基本給を協定するについては、組合側としてはそれが従前の時間外、深夜賃金の支給実績を上廻り、賃金総額としてはかなり大巾な賃上げとなるなど、従業員に有利であつたことから、右のような協定の締結に積極的な態度であつた。
(2) その後昭和三七年五月七日行なわれた被告会社と組合との団体交渉で前記基本給の引上げが協議されたが、その結果初任給三五〇円が四五〇円とされたほか全般的に金額の改訂が行なわれ、原告らが本件で主張するような基本給の取決めがなされた。右基本給も時間外および深夜労働に対する賃金を含む点では従前と差異はなく、従つて時間外および深夜割増賃金を別に計算して支払うようなことはなかつた。なお、その際従前実際の労働により計算していた賃金を暦日数をもつて計算することとし、これから欠勤日数を差引いた日数をもつて賃金計算の基礎となる労働日数とする旨の合意もなされた。しかし、右昭和三七年五月の取決めについても、当事者間で口頭による確認がなされただけで、協定書の作成は行なわれなかつた。その後被告会社では昭和三九年七月一八日になつて会社と組合との間で新賃金体系に関する協定書が作成されたが右協定書においてはじめて基本給、歩合給等にすべて残業深夜手当が含まれることが明記された。
(3) 右のように、被告会社において昭和三六年一月以後時間外および深夜労働に対する割増賃金を基本給に含めて支給することとなつたものであるが、その後この点について組合や従業員から格別の異議申出もなく、本訴請求にかかる昭和三七年一〇月二六日から昭和三九年七月二五日の間においても、原告らを含む全従業員が特に異議をとどめることもなく、毎月被告会社から支払われる賃金を受領していた。<証拠判断省略>。
(二) 次に、原告らは、右のような時間外賃金、深夜賃金を基本給に含めるような賃金支払方法は労働基準法第三七条等に違反するものであり、前記協定は無効である旨主張する。なるほど、労働基準法第三七条等の趣旨が、所定の割増賃金を確実に支払うことを使用者に義務づけることにより、超過労働をできるだけ制限すると共に、量的または質的に過重な労働に対する補償を十分なさしめようとする点にあることからすれば、労働基準法は右割増賃金が法所定の手続で厳格にかつ機械的に算定されることを期待しているものと考えられる。しかしながら、本件におけるように労使が協議の上時間外、深夜賃金を含む基本給を自主的に協定した場合、その合意そのものは可及的に尊重すべきものと考えられるから、それが過去の時間外および深夜労働賃金の支給実績などに照して従業員に実質的に不利益を及ぼすものでない限り、右合意をもつて直ちに違法、無効なものと考えるのは相当でない。そして、本件の場合原告らの基本給が当初原告らに有利なものとして取決められたことは前記認定のとおりであり、その後に前記のような賃金支払方法のため原告らが特に不利益を蒙つたことを肯認するに足りる証拠も存しないので、前記基本給の取り決めが賃金支払方法として妥当なものでないこと(前記のような基本給が定められた場合時間外、深夜労働時間ならびにこれに対する賃金額は毎月変動するわけであるから、これに応じて基準賃金部分も増減することとなり、純然たる歩合給の場合と同様に、不安定な賃金体系となることは否定できない)は否定し難いとしても右合意そのものを違法視することはできないものと考える。
(三) ところで、被告は、被告会社が前記協定により定められた時間外、深夜賃金を含む基本給を原告らに支払うことにより、原告らの時間外および深夜労働に対する賃金はすべて支払われたものと主張する。しかし、右のような基本給が合意された場合であつても、それを内容的に基準賃金、時間外および深夜賃金の各部分に分割することは可能であり、現に右合意がそのようなものとしてなされたのであれば、これによる基準賃金を基礎にして、時間外、深夜労働に対する割増賃金を計算することができ、右により算出された割増賃金と基準賃金の合計が前記合意にかかる基本給を超過するような場合には、その差額について事後的にその支払請求を許容すべきことは勿論であるから、被告主張の前記協定が有効でこれに基いて賃金が支払われていることから直ちに原告らが一切の割増賃金請求権を有しないものと速断することはできない。しかし、本件原告らの基本給については、内容的に基準賃金部分を特に明確にして合意されたものと認めるに足りる証拠は存しないところであり、むしろ、前掲各証拠によれば、右基本給は基準賃金、時間外、深夜労働賃金を特に区分することなく、一体として取決められたものと認められるのであり、従つて本件について右計算方法により割増賃金を算定することはできない。
なお、被告は、前記原告らの賃金日額について当該月の基準労働時間数、時間外および深夜労働時間数に従い法定基準どおりに逆算すれば時間当りの基礎賃金を算出できるので、これを基礎にした割増賃金の計算が可能であり、被告会社も右方式により割増賃金を計算している旨主張し、<証拠>によれば、被告会社は組合との間で前記のような基本給を取決めたものの、対外的な配慮から手続的には右計算方法により(しかし昭和三八年一月以後は基礎賃金を一定した)割増賃金を計算し賃金台帳にもそのような記載をなしていたことが認められるが、本件においては、被告会社と組合との間で、右逆算方式により得られる基礎賃金さらには一定額の基礎賃金を割増賃金計算の基礎とする旨の合意がなされていたと認めるに足りる証拠は存しないので(従つて、前記賃金台帳の記載は全く対外的な便宜のためになされていたものとみるべきである)、被告の主張する右計算方法を本件割増賃金計算の基準とすることもできない。
(四) 右のとおりであるから、本件については、原告主張の賃金日額中に存在すべき基準賃金額を確定することができず、ひいてはこれに基づく割増賃金の算定ができないことに帰するので、原告らの本件割増賃金の請求はこの点において既に理由がないものといわなければならない。
三以上の次第で、原告らの本訴請求を失当として棄却することとし訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。(弘重一明)